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残念な人とは、能力もあり、やる気もあるが、考え方=プライオリティが間違っているため、結果が出ない人のこと。考え方さえ正すことができれば、きちんと成果が出せる。実は「もったいない人」「惜しい人」のこと。
稼ぎ方・使い方・貯め方が適切かどうかは、「時代=今の世の中の仕組み」と、あなたが「どう生きたいか」の組み合わせによって決まる。そうした適切な選択に対し、はからずも逆行してしまっているお金の習慣。珍しいものではなく、実は、そこらじゅうにあり、それどころか、それが常識だと思われていたりする。
働いても働いても、なぜか増えない、貯まらない。
◎貯金さえ十分あれば“将来安心”は幻想である。
◎朝活、勉強会、資格取得では稼げない。
◎やっぱり、お金は銀行に預けたほうがよかった。
あなたがやってしまっている“残念”な投資、消費、浪費とは?
脱・貧乏思考でお金も人生も豊かになる方法。
Chains of habit are too light to be felt until they are too heavy to be broken. ――Bertrand Russell
習慣という名の鎖は、抜け出せないほど重くなって初めてその存在に気づかされる。 ――バートランド・ラッセル 山崎将志 訳
お金というのは不思議なものだと思う。実態があるようでない。ある種、錯覚のようなものなのではないかと考えることがある。
私の知り合いの社長は、毎週社員を食事に連れて行って、だいたい一回の食事で一人に一万円くらい使うという。月に直すと一人当たり四万円である。社員の中には食事は行かなくていいから四万円給料上げてくれよ、あるいは食事は半額でいいから、残りの半分を給料で欲しい、という人もいるだろう。しかし、この社長は食事の四万円はよいが、社員の給料を月に四万円上げるのは、何か理由がない限りは絶対に嫌だという。
これはいったいどういうことなのだろう。
我々も、日常生活において不思議なお金の使い方をしていることがある。たとえば、このようなことだ。
・ひとつしか要らないのに、二つでオトクといわれると、二つ買ってしまう。
・携帯電話に月々一万円近く払っている割に、牛丼屋に行って五〇円の卵を付けようかどうか真剣に悩む。
・家賃節約のために職場から遠いところに住み、疲れたといって週末にマッサージ店に行く。
・独身なのに死亡保障の生命保険に入る。
・所得も貯金も十分あるのに医療保険に入る。
・高級車に乗って一〇〇円ショップに行く。
ここに列挙したものはすべて、一見お金に対する一貫性がなさそうな行動である。
私も、あとで考えると変だな、と思うような行動をとってしまうことがときどきある。都心のゴルフ練習場に行くと一球二〇円もするからと、少し車を走らせて一球一〇円の練習場に行く。安い練習場に行くには、往復六〇分余計に時間がかかるし、ガソリン代もかかる。それで節約できるお金は、一回あたり一〇〇球打ったとしても、一〇〇〇円しか変わらない。
今、意図的に一〇〇〇円しかという言葉を使ったが、別の人にとっては、一〇〇〇円も違うのである。私にとって一〇〇〇円はしかという単位だが、ゴルフの練習の単価にしては一〇〇〇円も違うと考えてしまう。
私の一〇〇〇円しかという表現に不快感を抱いた人も、スポーツクラブに月に一万円払っていたりする。一方の私は、利用料一回三〇〇円の区民センターにしか行かない。つまり、お金に関する感覚は、人それぞれというわけだ。
法の下であらゆる自由が保障されている現代社会において、人それぞれというのは重要な価値観である。しかし、あまりに好き勝手にやっていると、幸せな人生を送れなくなってしまうものである。それは、今の社会をよりよく生きるために適合的な価値観なのかどうかによって決まるはずである。
お金に関する習慣――稼ぎ方、使い方、貯め方――次第で、人生が楽しくなったり、不幸になったりする。人生を楽しくするお金の習慣は、先達たちから脈々と受け継がれてきた。それらの本質は時代を超えて現代に生きる我々にも通じるものが多い。しかし、一方で時代とともに新しい定義づけが必要な習慣もあるし、その人の人生の目的やそのときどきの置かれた立場によって、違った解釈を加えなければならないものである。
新たな定義づけや解釈の仕方を間違えてしまうと、残念なお金の習慣を身につけてしまうことがことになる。その結果、幸せな人生が送るきっかけを逃してしまう。
残念な人とは、能力もあり、やる気もあるが、考え方――プライオリティ(優先順位)――が間違っているために、結果が出ない人のことである。
ここでいう「考え方」とは、正しいかどうかと、適合的かどうかの二面性を持っている。
正しいかどうかとは、たとえば利息とコストの関係など、計算式によって求めることができる類のことである。一方で、後者の適合的かどうかというのは、相対的なものである。それは、自身の時代に対する理解の仕方と、自分がどのように生きたいのかという二つの組み合わせで決まるものである。
考え方さえ正すことができれば、きちんと成果が出せる。実は、残念な人とは、もったいない人のことである。
ここで、私はお金の習慣について語ろうとしているが、正直なところ私はお金に関しては、かなり残念な人である。お金によるストレスに悩んだことは数知れず、また5章で、私の投資に関する失敗を赤裸々に語っているが、その他にもお金に関して、あるいはお金に起因する問題によって、数多くの失敗をしている。まだまだ発展途上の完成されていない人間なのだが、私の考えは、若い時分にお金がなかったことが原動力になっている。そしてそれにより、あなたが知らない世界を経験することができた(もちろん、あなたは私が知らない世界を経験している)。
その経験をお話しすることによって、あなたが正しい考え方を見つけ、あなたなりの時代に対する理解と、人生の目標をうまくマッチさせるヒントのようなものを見つけていただければと思う。